2011年12月9日金曜日

ハイデルベルグ


 ハイデルベルク、旧市街遠景 北岸の哲学者の道から南岸(城のある側)を見たところ

 2011年10月末、熊本市と姉妹都市になっているハイデルベルグを再び訪れました。7月にドイツを回ったときも訪れたのですが、時間の関係でお城しか見られなかったので、今回は町歩きが中心でした。
 ハイデルベルクといえば、ドイツ国内で最も古い大学と、ハイデルベルク城と、ネッカー川にかかるアルテ・ブリュッケ、北岸の哲学者の道などが観光スポットとして有名です。
 
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 19世紀ごろにはハイデルベルグにとって観光業が大きなテーマになり、青春を象徴する大学町としてアピールされるようになりました。ヨーゼフ・フィクトール・フォン・シェッフェルの詩「アルト・ハイデルベルク、麗しの街」と1901年に初演された芝居「アルト・ハイデルベルク」によって、ハイデルベルクは19世紀の学生生活の象徴となったのでした。また、この都市は第二次世界大戦中にも焼けなかったので、中世バロック様式の旧市街を遺す、数少ない都市の一つとして観光客を集めています。


ハイデルベルグ城
                         旧市街から見上げたハイデルベルク城

 ハイデルベルク城は13世紀頃からプファルツ伯の居城として拡張を続けた城で、ロマネスク、ルネサンス、ゴシックなどの建築様式や装飾の変化・発展が見られます。城自体は17世紀になると30年戦争やプファルツ継承戦争の影響で3度にわたって占領・破壊され、そのたびに再建と増築がなされました。しかし18世紀初め、マンハイムに近代的な宮殿が築かれることになってハイデルベルクは衰退しました。さらに1764年の落雷による火事以降、城は放棄されることになったのです。

広大な城の敷地は、今は修復が進んで、観光客で大変な賑わいです。南側の庭園から旧市街地を見下ろすことができ、ネッカーの流れにそって街が出来ている風景は変化に富みます。

聖霊教会
聖霊教会外観

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 ハイデルベルク旧市街地の中心、Marktplatzに聖霊教会Heilliggeistkircheがあります。

聖霊教会はハイデルベルグの歴史の宗教的側面をよく反映していると思います。内部は身廊が狭く、側廊とほぼ同じ幅のゴシック式建築で、代々選帝候の墓が置かれてきましたが、先に述べたプファルツ継承戦争のときにフランス軍の破壊にあって、多くの墓が壊されました。
1555年のアウグスブルク宗教和議によって、「領主の宗教がその領土で行われる」という原則が確認され、ルター派はドイツに根を下ろしました。
それまでハイデルベルグでは政権を握る選帝侯の見解によってカトリック派、プロテスタント派と揺れ動き、長く紛争が続きました。18世紀初めにはこの聖霊教会の中に壁が作られ、両派が教会を分けて使っていたそうです。1936年にプロテスタント派が権利その他をカトリック派から買い取って、争いは終わりました。

 
物理学の窓
「物理学の窓」文章は聖書からの引用だそうです。

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聖霊教会の南西端のステンドグラスから、燃えるような赤い色が教会の空気を染めています。この窓には、ドイツ語で聖書の引用と、ヒロシマの原爆投下を悼んでその日付が書き込まれ、割れた地球から中身が溶け出しています。また、E=mc2の公式もあるので、原爆だけの話ではなさそうです。
調べてみると、これは「物理学の窓」でした。教会の窓を大学の各学部を象徴するステンドグラスで飾ろうという案があり、試しに1つ作ってみたそうです。学問を擬人化された人物とその持ち物でステンドグラスに表す例はほかの教会でも見たことがありますが、これは現代的な作品ですね。
赤い色は暴力を表し、E=mc2はアインシュタインのエネルギーと質量の関係式。1939年、当時アメリカに亡命していたアインシュタインは、ナチス・ドイツがウラン中の核連鎖反応を用いた強力な爆弾を作ることを恐れ、当時の大統領フランクリン・ルーズベルトにそのことを警告する手紙を書きました。
彼自身は原子爆弾の製造には声をかけられませんでしたが、政府の目をそちらに向けさせることになったきっかけには関与しました。彼自身はドイツで生まれて教育を受け、スイスで働いたユダヤ人でした。彼はナチス・ドイツに追われて亡命し、友人・家族・同胞を亡くす恐怖に迫られていたのは確かです。彼自身の問題はそうで、しかし日本に原子爆弾が落とされたことには大きな衝撃を受けていました。

自然科学は自然科学の真理として私を魅了してきました。物理はまったく専門外だけれど、目に見えない微小の世界や、想像するしかない広大な宇宙の力学などの話を好んで読んだし、そういう話は日常を越えていて想像力をかき立てられたものです。しかし同じ物理学が、一方では人が触れられないほど危険なエネルギーをもたらしました。そのことが残念でなりません。しかし、一度は科学に魅了されたからこそ、その危険な側面から目をそらすことは許されないという義務感も感じます。