2012年2月16日木曜日

王女エリザーベト

ドイツでは聖霊教会、聖母教会、巡礼教会などと名付けられた教会がよくあるが、その中にエリザーベト教会Elisabethkircheという名前もしばしば目にする。聖人に列せられたハンガリー王女エリザーベト。13世紀の人である。

昨年夏、宗教改革者ルターの足跡をたどるため、テューリンゲン地方アイゼナッハのヴァルトブルク城を訪れた。彼は教皇に破門され、皇帝から法の保護外に置かれるという追放処分を受けたあと、ザクセン選帝候フリードリヒ三世に匿われて、この城に潜んだ。ルターが聖書のドイツ語訳を行った部屋が保存されている。

夏だったせいもあって、まあ大変な混雑。その上ガイド付きのコースに参加しないと城の内部は見られないというから、参加した。そしたらガイドの大半はルターとは関係なかった。ルターがここで聖書を訳したときには、すでにこの城には充分歴史が積み重なっていたということではある。

そしてここに、金色のモザイクが輝く「エリザーベトの間」があった。太い柱に支えられた半円筒ヴォールトの広間の壁と天井一面、ぎっしりとガラス・モザイクで装飾されている。モザイクは20世紀に施されたものだが、描かれているのは13世紀の聖人、エリザーベトである。

13世紀初頭、ハンガリー王女エリザーベトは、Landgraf(方伯と訳される。国王に対してその土地を守護する職に任ぜられた者)の婚約者として、ヴァルトブルク城へ連れてこられた。当時4才。彼女は長じて14才でルートヴィヒ四世の妻となるが、彼は十字軍に参戦してイタリアの海岸で戦死。その後彼女はヴァルトブルク城を追われ、マールブルクに移る。

エリザーベトはアッシジの聖フランチェスコを手本とした禁欲的な生活を送った人であったらしい。貧しい人々や病人のために施しをし、さまざまな場所に救貧院を作った。マールブルクでは修道協会で生活し、自らが設立した救貧院の一つで働き、1231年に24才の若さで亡くなった。1235年には教皇によって列聖されている。
マールブルクには彼女の棺を納めるために作られたエリザーベト教会があり、交差部から先は入場料を取るほどの観光地になっている。

中世のヨーロッパにどれほどキリスト教が浸透していたか、うかがえる話だと思った。アッシジの聖フランチェスコが活動した時期は、エリザーベトとほぼ同時代である。教会の制度もかなり確立されている。